- ※どなたでも自由に参加下さい。コート代は1,000円前後/人です。
- 【沿革他】
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練習予定日(2013年01月〜02月分)
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実施日 |
コート |
面数 |
時間帯 |
予約者名 |
01月09日(水) |
ゆうぽうと世田谷 |
2面 |
14時〜16時 |
滝口 |
01月18日(金) |
大蔵第二 |
2面 |
15時〜17時 |
萩庭B.C |
01月25日(金) |
大蔵第二 |
2面 |
15時〜17時 |
萩庭A.B |
02月06日(水) |
ゆうぽうと世田谷 |
2面 |
14時〜17時 |
滝口 |
02月15日(金) |
大蔵第二 |
2面 |
15時〜17時 |
萩庭B.C |
02月22日(金) |
大蔵第二 |
2面 |
15時〜17時 |
萩庭A.B |
【活動状況】
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- 02月10日(金) 訃報
- 萩庭会の幹事長としてまたこの会の創始者として長年にわたりご尽力いただいた山本三郎さんが2012年2月10日午前6時に逝去されました。約1年半の闘病生活でしたが最後まで笑顔を絶やさずがんばられました。謹んでお悔やみ申し上げます。
- 世田谷テニスの仲間でした浅野幸男様が2012年9月に逝去されました。突然の訃報に驚いております。幼馴染の山本三郎さんを追いかけた形になりました。
- 12月21日(水):2011年最後の練習会は好天に恵まれました。ここ数回はコート2面に対し8人集まらない日が続いていましたが、今日は9人(渡辺、藤井、水野、鈴木、村上、大瀧、岡本、滝口、小山)が集まり久しぶりに並行して試合ができました。渡辺さんのアグレッシブなフォアハンドレシーブ、藤井さんの「これでもか」のロブ、水野さんの切れ味のよいサービスは日頃の成果です。前半、調子のでなかった鈴木さんと大瀧さんは次第に調子を上げました。村上さんと小山さんはお互い負けじとばかりの好ショットの応酬、岡本さんと滝口は走り比べでした。
- テニスの後は成城学園の「旭寿司」で忘年会を行いました。テニスの9人に厚母さん、白石さん、石川さんが加わり12名の宴会です。久しぶりに参加した小次郎さんは渡辺さん・藤井さん・水野さんの実力アップを驚いていました。その小次郎さんの高校生時代を大瀧さんは印象深く覚えていたそうです。二人の女性(小松原さん、緒方さん)を紹介した石川さんは皆さんに感謝されていました。藤井さん・小山さん・石川さんは異口同音に先日行われた「萩庭会懇親テニス」へ多くの新規参加者があったことに大きな期待を込めていらっしゃいました。滝口はこの1年はさまざまな都合で参加者が減ってしまったので来年はなんとか増やしたいと期待を述べました。岡本さんからは「テニスではなく足ニスです」と懐かしい言葉が飛び出しました。鈴木さんと村上さんはテニスとお酒の両方が楽しみです。水野さんは藤井さんと』ともに必ず出席をもっとうに参加されています。白石さんは夏の体調不良からの脱却に努力されています。藤井さんは自分たちの世代から次の世代へ更に次の次の世代へと繋いでいくための案を常に考えています。厚母さんは北大OB戦で負けたのが今年の悔しい思い出でした。渡辺さんは徴兵検査で甲種合格となり”生きては帰れない”と思われたそうです。大学に入りテニス部に入っても思うような練習ができず、その悔しさが現在のバネになっているそうです。
- 後列:石川、岡本、村上、水野、小山、滝口
- 前列:鈴木、渡辺、白石、藤井、大瀧
- 5月02日(月):山形の新庄から大場さんが上京。往時の仲間を中心に10人(大場、厚母、石館、藤井、白石、鈴木、岡本、太田、石川、滝口)が集まり「大場さんを囲んで」の臨時練習会が開催されました。素晴らしい天気にめぐまれ楽しいひと時でした。特に大場さんはまだ雪の残る新庄で唯一テニスができる室内コートがこの度の大震災に対する支援物資の保管庫となってしまい、テニスがなかなかできずうずうずされていたようです。明るい太陽の下で思い切りテニスができる喜びを全身で現していました。昔を思い出しての対戦もありました。テニスはできなかった水野さんも駈けつけてくれました。成城学園「みや川」でのアフターテニスは皆さんすっかり学生時代に戻り大いに盛り上がりました。その勢いで数人は二次会へとなだれ込んだそうです。
- 後列:鈴木英(S34)、白石(S32)、岡本(S39)、太田(S42)、石川(S49)
- 前列:藤井(S32)、厚母(S28)、大場(S31)、石館(S31)
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二次会はイタリアレストラン
- 後列:太田(S42)、水野(S33)
- 前列:石館(S31)、藤井(S32)、大場(S31)、白石(S32)
- 3月11日(金):七大学OB戦に備え12名が集まりました。ところが宮城県北部を震源とする未曾有の大地震があり、世田谷の大蔵第二運動場も大揺れでした。直接の被害はありませんでしたが施設は世田谷区の指示で営業終了となりました。従って私たちのテニス練習会も中断となりました。バスは運行していたので参加者はめいめいに最寄り駅に向かいました。ところが首都圏の公共交通機関は全てが運転見合せを決め、そこからの帰る手段はなくなりました。白石さんと鈴木さんは徒歩で帰宅、渡辺さんは午後12時近くなって動き出した小田急線で帰宅されました。藤井さん、水野さん、村上さん、梅原さんはようやく見つけた臨時収容所で一晩明かすことになりました。梅原さんは真夜中に小田急線と西武線を利用して帰宅されましたが着いたのは午前3時半とのことでした。藤井さん、水野さん、村上さんはJRが動かないため一晩を過ごし翌朝動き出した私鉄及びJRを利用して帰宅されました。