- 2010年11月20日(土) 第13回萩庭会関西支部例会(関西楡庭会と合同)
- 好天に恵まれ恒例の関西支部例会が行われました。テニスコートはいつもの”神崎川テニスクラブ”で行われましたが、宿泊及び懇親会で長い間お世話になった”釣鐘倶楽部”が今春で閉鎖されたのは名残惜しい限りです。その関係でいつも私たちをお世話下さった片平さんの姿をお見かけできなかったのも寂しかったです。碓井幹事長のご尽力で今年の懇親会は交通の便利な”がんこ梅田本店”で行われました。
- テニスの部(神崎川テニスクラブ3面:13時〜16時)
- 青空にそよ風と絶好の天気に恵まれました。参加者は萩庭会が11名(s34山本、s36飯野、s37小北、s39片寄、s40碓井、s41阿部、s42滝口、s42太田、s43小山、s50湯本、見学:s39里見)、楡庭会は7名(s29中出、s35飯室、s40下野、s42宮上、s44松本、s45中島、s47大手)の合計18名でした。好敵手を見つけての試合、顔なじみ同士の試合、最高齢の中出さんも紅一点の中島さんも、頭脳労働者と自負する山本さんも腕自慢の皆さんに交じって汗を流していました。
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山本(Bサイド) 小山(サービス) 松本(Fサイド) 宮上(Bサイド)
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ネット向う側:片寄(Fサイド) 飯野(Bサイド) ネット手前:碓井(Bサイド) 小北(Fサイド)
- 後列:片寄、松本、太田、湯本、小北、下野、山本、里見、滝口
- 前列:大手、碓井、中島、飯室、宮上、飯野、小山
- 懇親の部(17時半〜19時45分:がんこ梅田本店)
- テニスの部参加者に加え、名古屋から今回最高齢の相原東孝さん(s25卆)85歳と岡山から最年少の佐藤智徳さん(h17卆)27歳が遠路参加いただきました。年齢差実に58歳もあるのにごく自然に話し合えるOB・OG会の良さを実感できる懇親の場になりました。中出さんの乾杯の音頭で懇親会が始まりました。続いて萩庭会の小山会長、楡庭会の下野会長からご挨拶がありました。相原さんからは戦後すぐの北大戦で中出さんに東北大が散々いじめられた話や庭球(低級)部長が高級な中川先生とは知らずに入り、その縁で民法を勉強し小樽商大、南山大学、朝日大学で教鞭をとることになったことを面白く話されお元気なご様子でした。元三菱電機人事部長の里見さんには楡庭会の方から尋ね人の依頼がありました。中島さんからは「いつも若い人とテニスをしていますが、今日は...」で爆笑を誘っていました。まだ現役でがんばっている大手さんは「純粋北大からノーベル賞受賞者が出ました。」と今までのうっ憤を晴らす(?)発言もありました。最若手の佐藤智徳さんから「元気にテニスをしています。若手に参加を呼び掛けます。」と話すと小北さんから「5人集めたら会費をただにするよ」と期待の声がかかりました。飯室・宮上対山本・小山の試合は途中で終わったので、来年のこの場で2−1から続きをする約束が交わされました。阿部博さんから「今日の試合で宮上さんのプレースタイルがよく分かった。」と発言すれば「そう思うのは甘いです。」と宮上さん。来年の七大学OB戦に向けての水面下の動きが始まっています。山本左太夫(?)さんからこの夏に出版した「玉蟲左太夫外遊録」の紹介がありました。玉蟲左太夫は今から150年前に日米修好通商条約批准書交換の使節団の一員として同行し、太平洋を横断しアメリカを訪れ・更に大西洋を東に進み・アフリカの喜望峰を回り・東南アジアを巡り、世界一周を行った貴重な記録(日記)を残しました。山本三郎さんはその5代目の子孫に当ります。ご先祖様の貴重な記録を現代語に訳し、読みやすい本(とは言っても500ページ以上)『仙台藩士幕末世界一周:荒蝦夷社出版』を出されました。片寄関西支部長(本年度全日本ベテラン70歳以上に出場)から締めの挨拶がありましたが、話はどうしても全日本の話になってしまいました。北大寮歌「都ぞ弥生」を歌い、最後は佐藤智徳さんの元気なリードにより「青葉燃ゆる」を歌って懇親会はお開きとなりました。(滝口記)
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乾杯の音頭(中出さん) 最高齢(相原さん)
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里見さん挨拶 楡庭会メンバー
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「玉蟲左太夫は...」山本さん 「実は全日本の話がしたい..」片寄さん
- 後列:滝口、宮上、下野、小山、里見、阿部、小北、湯本、太田、佐藤
- 中列:飯室、中出、相原、飯野、片寄、松本
- 前列:山本、中島、大手、碓井